「見える」和「見られる」、「聞こえる」和「聞ける」
「見える」:能看到
「見られる」:可以看
「聞こえる」:能听到
「聞ける」:能听到
如何区分以上两组词呢?
「見える」
与人的意志无关,事物自然就能映入眼底。(没有遮蔽物,视力正常)
(1)年をとると老眼鏡をかけないと新聞がよく見えない。(上了年纪不带眼镜的话就看不清报纸。)
(2)生まれたばかりの赤ちゃんは目が見えない。(刚生下来的孩子眼睛看不见。)
(3)猫は夜でも目が見える。(猫在晚上也能看得见。)
「見られる」
「見られる」=「見ることができる」
以人想看的意志为前提,但还需要具备一些条件才能看到。
(1)(富士山が見たい)日本へ行ったら、富士山が見られる。(【想看富士山】如果去日本就能看到富士山。)
(2)(その絵が見たい)美術館へ行けば、見られる。(【想看那幅画】要是去美术馆的话,可以看到。)
(3)テレビを買った。やっとアニメ新番組が見られる。(买了电视,终于能看到新的节目了。)
补充:
在我们学习过程中会发现有些句子用了「見られる」,但并不一定是想看作为前提的。比如:
(1)この山ではよく虹が見られる。 这个山上经常能看到(出现)彩虹。
(2)西の方に富士山が見られる。西边能看到(是)富士山。
这两句话其实与人的意志无关,已经是客观既定事实,可以用「見られる」。
再来对比一下下面两个句子。
ここから山が見える。 (这里能看到山。)
所处的位置直接能看到山,没有遮挡物。
ここから山が見られる。(这里可以看到山。)
为了看山才来到这里,到这里之后才能看到山。
「聞こえる」
听力正常的情况下,声音自然传入耳朵。(与自己的听力和声音的大小有关)
(1) 年が取ったから、あまり聞こえない。(年纪大了,耳朵听不清了。)
(2) 先生は声が小さいので、話がよく聞こえない。(老师的声音太小,我听不清。)
(3) 外で足音が聞こえる。(在外面听到了脚步声。)
「聞ける」
「聞ける」=「聞くことができる」
以人想听的意志为前提,但还需要具备一些条件才能听到到。(不管听力是否正常。)
1.コンサートのチケットを買えば、その音楽が聞けるよ。(如果买音乐会的门票的话,就可以听那个音乐了。)
2. あの店で名曲が聞けるので、よく行きます。(在那家店可以听到很有名的歌,所以我经常去。)
3.アナウンスで注意事項が聞ける。(在广播上可以听到注意事项。)
补充:
对比以下两个句子:
ここで音楽が聞こえる。 (在这里能听到音乐。)
听者听力正常,音乐自然传入听者耳朵。
ここで音楽が聞ける。(这里能够听到音乐。)
为了听音乐来到这里。在别的地方听不到音乐,只有在这里才能听到音乐。
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